昭和45年7月26日  朝の御理解



  第84節「おごりがましいことをすな。ものは、細うても長う続かねば繁盛ではないぞ。細い道でも、しだいに踏み広げて通るのは繁盛じゃ。道に草を生やすようなことをすな」
とあります。

  おごりがましい、おごりがましいことというのはどういうことであろうか、え~、私は思いますのに、生かすとか殺すとかということを申しますがね、私は信心はもう全てを生かすことだとこう思う、例えば過去の事でも、お~、例え難儀な問題とか、様々な過去を持っておりますが、その過去の全てがね生きてくる、ね、例えばあ~その、人に迷惑をかけられたといったような場合でもですね、いかにもその時には迷惑をかけられたのですけれども、そのかけられたおかげでということになっとれば、それは迷惑をかけられたことが生きてきとるわけです、ね、ですから、それは事柄ですけれども、物でもやはりそう、物がねその生き生きとしてその生かされる、これはまあ廃物料といったようなことを申します、そういうことも含まれておりましょう、ね、けれども私はここで私は間違うてはならないことは、その~、例えば私先日から、反物のお供えを頂いた、こちらは一つも分からなかったけれども、御服屋さんがきて「これは二十万円します」っち、ね、例えばうんならその二十万もする着物がです、ね、やっぱあるのですからね、それを私は有り難く着せて頂くということを生かすことだと思う、必ずしも金光様の先生はもう良うか色の、その紋付きを着とらんならんっちいうことはない、ね、全てがね、その生き生きとして生かされるということ、いわゆる有り難い勿体無いで生かされるということ、私はおごりがましいということは今日はそういう風に感じます。
  ですからこれは私共、お~、段々おかげを頂いてまいりまして、まあ本当に勿体無いと、思う事ばっかりでございます、ね、例えて申しますと、私だいたい大変お酒が好きですけれども、だいたい根が酒屋でございますから、ね、本当に月次祭たんびんに何十本の銘酒を頂きます、けれども自分から私は晩酌をしようとは思いませんですね、好きですけれど、ね、ですからいつも有り余っておる、これはもうそれに限ったことでありません全てがそうです、例えばうんなら、あ~お下がりも沢山頂きます、お金ならお金、で私がなら十万使おうが、例えば二十万お小遣いを使おうが、それは一つも合楽の経済には響きません、けれども私はね、そのおごりがましいことになってはならないと思いますからね、もうこれは教会内の、例えばこの食生活の上においても、衣糧生活の上においても、私と家内だけはもう二十幾年間、布一寸買いませんという、う~信行を、修行をさして頂いておるです、米一粒買いませんという修行も続けております、さあお客さんがあるから、とそう、お~、何か買うてからでもということをしない、でその範囲内でおかげを頂こう、それはおごりがましいことになってはならんと思うからなのでございます、ね、けれどもね、私は例えばまあ申しますならば、一万円の給料を取っておる人がですね、一万一千円の例えば生活をするならこれはもういよいよおごりがましいことだと思います、けれども十万円の給料取りが、五万円の生活をするのは、まぁだ有り余ってる、ような感じですね、例えばその、只今申します、二十万円の着物でもです、神様が人間氏子のためにお作り下されてあるのでございますから、それが有り難く勿体無く無駄なくそれが着せて頂けれる、一つおかげを頂きたいと私は念願しております、まあ、おごりがましいということを、まあ私はこのおごりがましいという見解についてですね、そのような風に頂いております。
  細うても長う続かねば繁盛ではない、細い道でも、ね、しだいに踏み広げて通るのが繁盛じゃと、繁盛を願わない者はもう誰一人ありますまい、皆繁盛を願うてのこと、ね、そのためには人の持っておる茶碗でも叩き落としてでもという人すらがあるくらいです沢山、ね、信心さして頂く者は勿論そういうこともありますまいけれども、ね、ですから私共がここに、まあ言うならば、え~一遍に千金を、を~頂けるといったようなおかげは、これは例え良しあった、それがあっても、それは繁盛でないことが分かります、繁盛というのは、ね、しだいに踏み広げて行くのが繁盛じゃとこうはっきり教えられておるのでございますから、ね、しだいしだいに繁盛して行く、しだいしだいに踏み広げて行く、その踏み広げて行くということが、繁盛なのだ、勿論踏み広げて行くということは、私は信心の道を、言わば信心の、奥賀奥賀へと信心を進め高めて行くことだと思います、また深めて行くことだと思います、ね、しだいしだいに、信心を一遍には分かりません、しだいしだいに、いわゆる、お話、み教えによって、返答を頂く、そこから信心が信心を教えてくれる、いよいよ間違いのない道がしだいに踏み広げられて行く、その踏み広げられて行くのに従って、伴のうてくるところの、私は繁盛でなからなければ危ないと思う、それはもう繁盛ではないと思う、信心も例えば分からずに、もし商売大繁盛のおかげを頂いとるなんていうのだったらそれは危ない危ない、そう思いますね、しだいに踏み広げて通るのが繁盛だと、ね、そこでどうでも一つ、そこに一つ繁盛のおかげを頂かにゃいけません、まあそこでこの繁盛ということについて少し申してみましょう。
  先日のお月次祭、23日です、ここの23日のお月次祭の日に、お祭り前に、え~、(?)やら一人ずつ体験発表をいたします、中に婦人総代をいたしております、熊谷さん、もう七十幾つになる婦人ですけれども、ん~、こんな発表をしておられました、え~、だいたいお百姓さんの出ですけれどもその、毎年え~その屋敷に芋を造ると、ね、ところがまあここでもお~、まあ野菜造りの名人と言われておられますその久富さんですね、総代さんの久富さんにその芋造りのこつをまあ教えて、「おたかたんのは違う、どういう風にして造られますか」と言うて、訪ねたところが、久富さんが言われるのに、「芋はね、深う浅う植えにゃいけません」っち言われる、ね、深う浅う植えるということが、この、沢山芋を収穫する秘訣、秘訣ですと、ね、深うということは、いわゆる深く掘ることでしょう、浅くということはねそれに浅く土をかけていくということだそうです、「これが芋造りのこつです」と、「なるほど先生そういうような、あ~、風にさせて頂いておりましたら、もう本当にたまがるように、その芋が良く出来る」とこう言うわけですね、そこで私は「信心もやっぱり熊谷さんそうですよ」と言うてまあお話したことでした、信心もいよいよ深うならないかん、ね、自分という者をぎりぎり見極めさして頂くと言うか、ね、いわゆる屑の子の自覚が段々いよいよ、お~出けてくるところから、お道の信心の実意丁寧神信心の、いわゆる姿勢が基本が出来るのです、最近はそこまで行かずに、なんか頭ばっかり下げとりゃこう実意丁寧のごたる、言わば実意丁寧の化け物んのごたっとがばさり多か出けてきたような感じがしますね、あれだけ実意丁寧ち、おかげ頂かっしゃらんならんとにおかげはいっちょん頂きござらん、してみるとそれは実意丁寧の化け者、形だけ、自分という者が掘り下げられ、自分という者が見極められていない、自分のという者を分かれば分かるほど、私は地を低うした、いわゆる実意丁寧な本当の姿勢というものが出来るんだと思います、ね、自ずと出けてくる、言わば実れば実るほど屈む稲穂であります、で信心がいよいよこう掘り下げられ、自分という者がいよいよ見極められる、ね、そこから今まで、例えばあ~、一尺しか有り難くなかったのが、二尺掘り下げたら二尺だけ有り難さというものは増してくるようなもんですね、だから深めるということはだから高めるということにも通じるわけなんです、いよいよ自分という者を教えの鏡に合わして見るとです、自分という者がはっきり分かってくる、ね、浅うということはどういうことかと言うとね、私はおかげのことだと思う、ね、おかげばもう深く広くじゃいかん、おかげはもうひとつ浅ぁく、いや本当言うたら、おかげは願わんですむくらいな、私は信心、いわゆる御利益なんです、ただ信心が深められて行く、その有り難さとかその喜び、いわゆる真の信心が身に付いてくることの有り難さ、ね、そこにはね自ずと願わんでも、言うなら頼まんでも、ついてくるのがおかげだと思う、いわゆるおかげ、願うということにおいては非常に浅いもの、なるほど深う浅う信心にも通じるということが分かります、ところが信心の方は、高めようとせずに、おかげの方だけは「どうも兄弟繁盛のおかげを頂きますように」「今日集金行きますからどうぞ無事に回収が出来ますように」といったような願い、ね、だからこれではいけない、いかにいけないことが、かということが分かります。
  そういうようなね、発表を熊谷さんがなさっておりながら過去二十年間の、お~自分の信心をまあ掻い摘んでお話になっておりました中に、一人息子さんが、大学に、受験された時のお話をしておられます、もう高校でも、お~、この人は大丈夫と言うほどに、俺が目を付けられるほどしに、まあ最優秀であった、ところが、あ~、大学には通れなかった、当時の熊谷さんの心境というのは、一人息子が大学に行くまでと、三里の道を一生懸命お参りし続けた、当時は九大線に、吉井から九大線、そして当時の椛目、合楽の前身です、草野からとにかく真っ暗道を歩いてくる、朝の御祈念にお参りをするのですからね、それもただ息子の受験、そのことの意志が一生懸命であった、にもかかわらず息子さんは、あ~すべっ、すべられた、それからもう一年というわけで、がんばられたけれどもまた二年目もすべられた、ね、ところがね、その頃には少し信心が分かってきた、と言うのはどういうことかと言うとですね、例えば段々朝参りをさして頂いて頂くみ教えの有り難さが身に付いてきた、もうおかげではなくて日々毎朝頂くその御理解が楽しゅうなってきた、それを行じて行くところの喜びが少し分かってきた、そこから自分の手足の例えば動く限り、当時の椛目ね、椛目参りはこれは続けますという信心になってきた、受験の頃にはもう受験というお届けもなかったくらいでした、ただお届けがあっただけでした、どうぞどうぞというものがなかった、おかげで三年目に合格されました、そしてです、その例えば三年二年間の間の、事がどういうようなその、お~事であったかと言うとですね、もう二年遅れなければ出来ない問題がはっきり分かったおかげだけでも、お~幾つもあった、卒業されてからなおさら分かってきた、結婚されてからなお分かってきた、あの時に二年ずれておったということがこのような素晴らしいおかげに、に、合うようになって、その二年間の間に神様は私に、言うなら真の信心を段々身に付けさせて下さって、信心を分からして下さった、ね、息子が試験さえ出来りゃあもう祈念ぎりで、どっか後はまあ月次祭ぐらいにお参りさせて頂くぐらいな信心がです、信心が分かって行くその時の喜び楽しみというものが、もう手足の動く限りはという、言わば信心に変ってきた時です、ね、そういう風におかげが現れてきた、同時に現在ではもう去年から、ね、朝晩お参りになります、三里の道を、今はバスで通ってみえられますがね、朝の御祈念夜の御祈念という風に、え~しっ、もう本当にもうそれこそいつとはなしになんとはなしに全てが有り難いおかげになっている、行っておる、ね、私は細うても踏み広げて通る道というのはね、そういう道じゃないだろうかとこう思う、ね、これはもういよいよ繁盛に私は繋がると思う、言うなら信心に伴のうてきておるおかげだ。
  「道に草を生やすようなことをすな」と、道ということはまあ信心だけじゃありません、色んなあ~柔道とか剣道とか、ね、花道とか茶道とかという、やはりそのそれそれ道があります、商売人なら商売人の道があります、夫婦には夫婦の間に、え~夫婦道という風に高橋先生あたりは言うとられますですね、ですからねその道を間違えまいとすることがね、返って間違えるような場合が多いことです、そこでね信心の道さえ間違わなかったら全ての道が立つのです、私はそう確信しております、天地に道あり、ね、天地に繋がる大道、そういう私はその道を体得さしてもらう、「道という言葉に迷うことなかれ、道は教えを踏む他はない」と、ね、教祖様が教えて下さっておられる、道を、み教えをですね、行じていく以外にはない、それが道なんだ、ね、だからそこからですね、そこから全ての道は開けてくる、ね、親子の道も、ね、商売の道も、ね、教祖様の教えを本気で行じて行くということ以外にないのだと、それを道道と言いよると、返ってそれに迷うたり、行き詰まったりするような道に出てしまうのです、天地に繋がる道に行き詰まりがない、天地を相手にしたもの、いや教祖のみ教えはもう全てが天地の道に出られるように説いておられる。
  私共、お~何にも分かりません、無学で分かりません、けれどもです、ね、これだけははっきり、言えれることはね、いかに神様が有り難い勿体無いと言うてもです、ね、神様の御働きそのものがね、有り難い勿体無いと分からなければ、私は本当の信心じゃないと思う、神様の御働きそのものがね、有り難いと、神様が一人一人の氏子にかけられる願いというものが、ね、成就していくためには、私なら私、大坪総一郎の上に様々な事がありました、私がおかげを頂いて行くことのために、神様は様々なね、難儀な問題、それこそ血の涙が出るような問題、ね、恥つかしい思いをする問題、それはもう全てですね、神様がおかげを下さろうとする、神様の働きなのだ、神様が私にかけられる願いが成就していくことのための働きなのだ、と私は確信しておる、ね、ですからその事を例えば泣く泣くでも、ね、合掌して受けていこう、これがまあ私は今日まで、まあ今日までって言や、ここ二十年あまりの信心、まあこれに自分で徹してきたと自分で思うております、ね、それをここでは成り行きを大切にすると申しております、または尊ぶと言うております、それが神様を大切にすることであり、または、あ~尊ぶことなのだと、神様の働きそのものをいい加減にする、神様の働きを軽う見るならば、もう神様をいい加減にするのも同じだ、神様を軽う見るのも同じだと、私は皆さんに聞いてもらっております、ね。
  ところがね、その成り行きを大切にさせて頂いてまいりましたら、段々人が助かっていく、道がいよいよ、お~、広がって行っております、ね、これはまあ私の一生かけての修行になることでございましょう、ね、そこで、あくっ、まあ私はですね、そのお~様々な問題を合掌して受けなっ、受けなければならない時、いやまたは受けねばならんけれども、受けられんように、ね、言うなら五体が無理無理んのような時もあるけれどもです、そういう時にみ教えをひも解かせて頂きますと、そこにはね、本当にそれこそ涙が零れるようなみ教えがその中にあることであります、ね、なるほど教えを踏む以外、以外にはないなと、教祖の教えて下さる道を、行じて行く以外にはないなと、いうことに結論されます。
  道に草を生やすなと、なかなか生えがちでございますけれども、ね、いよいよ本気で自分のいわゆる手元のところをですね、見極めさして頂く、生えておっても気が付かないようなこともございますけれども、ね、うっかりしておりますと、神様の方がちゃんと、う~ん場合には痛い思いをさしてからでも、「ほらほら草が生えておるぞ」と、教えて下さるようなものを実感いたします。
  昨日から、え~、丁度お昼の、一時の御祈念を今夏期修行で、若い方達を中心に、それこそ御広前が割れるような勢いで皆さんが、あ~三十分間それこそ汗びっしょりになって、御祈念をなさいます、もう無我夢中、なんにもない、それによって何か頼もうというのじゃない、私は本当にそれは有り難いと思うですね、若い方達がもう、本当にもう一生懸命にね、その一つのリズムに乗った、そのお~、いわゆる御祈念をなさっておられる、丁度その、お~、一時のお~御祈念の後、平田先生のお話を頂くことになりましたから、昨日昼から、昨夜もう遅うまで、そのお話を頂いたわけでありますが、先生のお話を頂いておってもう一番実感することはどういうことかと言うとですね、もう平田先生の周辺にね、神様が生き生きと現れておられるということです、言葉の端々からそれを感じます、ね、いわゆる親先生を現して、親先生を現されることを通して、天地の親神様のお徳を現して行っておられるその姿がです、夜のお話になって、え~伺いますと、そういう感じがいたします、いつも誰彼から頂くお話でも、平田先生のお話を頂いておるとです、それが本当にそうだという気がする、例えば昨夜の青年会の方に対するお話の中に、もうそれこそ何回聞いたか分からないお話でしたけれどね、平田先生から初めてだった、教祖様がまだお子様の時に、ね、養家先から御実家へお帰りになる、時には必ずあの、草履のね、え~もう、破れかかったようなのを、履いておいでられる、いわゆる(アシナカ?)って言うね、草履の半分ぐらいの草履、それを履いておいでられてっ、御無礼反対でした、(笑)、自分がそげなもんじゃからそげなん風に、奇麗な草履です、ね、新しいそれこそ作ったばかりの、草履を履いて必ずおいでになる、そして帰りにはお父さんが履きくずされたもう、履かれんような草履を履いてお帰りになったというお話をまあ、御伝記でも、お~、知っております、お話も色々聞きましたけれどもね、私平田先生のその話を聞かせて頂きよりましたらね、新たな事のように感動いたしました、ね、お互いの場合はどうだろう、それこそ古いのを履いて行って親が作った新しかつを、「これば貰うちくばの」と言うて、まあ履いて行くのが普通だけれど、古いのを履いて行っては、ああ新しいのを履いて行っては、お父様の古いのを、少しでもお父様を助けたい、少しでも喜んでもらいたい、というのが教祖様の御心情であったらしい、そのお話をですね、聞かせて頂いておって本当に、感動するんです私、何がそこにそういう感動があるかと言うとね、平田先生自身がね、親に対するその思いと言うか、その情念の強さと言うか、ね、昨日も発表しておられ、発表と言うかおっしゃっておられましたように、お兄さんはその、それほどにはよう思われなかった、そういう節々があった、だから自分だけはそういうことであっちゃぁならん、この親にという思いが非常に若い時から強かったという、そういう教えがです、そういう思いがです、ね、実際にあってからのお話ですから、もうそれは教祖様のことではない、平田茂樹氏のこととしてです、本当なことが私共に伝わってくるんだと、私そん時感じました、ね、自分の親を不孝しておる者がいくら親孝行の話をしたところで、それが伝わってこないように、自分自身が、ね、そのようなあ~親孝行のお~思いがあって、それを行じてきて、その話になってくるところに、あのようにです、生き生きと教祖様がそこに見る感じるような、思いがさして頂くのです、ね、もう本当にお話の、全てのお話の中からね、私はそれを感じさしてもらいます、ね、生き生きとです、そこに神様を現しておられる、ね、口を開けば初代であり親先生である、ね、もう本当に、親先生がそこに生き生きとしておられる、もうそれこそ安武松太郎先生が、もう本当に乗り移っておられるかのようなものを私は感ずる。
  先ほど芋のお話をいたしましたけれどね、ね、芋を植えるそのこつは深う浅うということであるが、芋ということは、もうそれこそ一つの芋から沢山の芽が出るもんです、いわゆる繁盛です、ね、私が頂いておるお知らせの中にね、「妙賀栄える蕗繁盛」と、「妙賀栄える蕗繁盛」、ね、若い時から親先生のみ教えを頂かれた、その教えが生き生きとしてです、お兄さんも一緒に御信心なるんだけれど、あれだけ親先生のお話しを頂いておって、親に対する思いでも、あれで良いだろうかと、まちっとぐらい分かりそうなもの、自分は人間は短いけれども、親先生の話を頂いたらです、ね、親に対する例えば思いなら思いでも、このように言うなら親に対する思いが滾ってくるのに、お兄さんはどうしたことだろうかと、思うたという意味のことを話しておられます、ね、いわゆる教えが生き生きとして、言わば、ね、教祖様のみ教えが生き生きとしてです、親子の道の上にそのようにして現れてくるんですよ、ね、しかもそれがです、願わんでも頼まんでも現在頂いておられるような、いわゆる繁盛、例えばね、不思議なんだ、教祖様のみ教えを本気で行じる、例えば、これはもう私共小学校の時からね、学校の先生から親孝行せんならんとこう、聞いてもね、それを行じたからと言うてね、え~、それは親が喜んでくれるから、喜びはありますね、けれどもおかげには繋がらないです、けれども教祖様が教えて下さる、親先生が教えて下さるから、親孝行さして頂かんならん思いが出けて、親孝行さして頂くとですね、親が喜ぶ事は勿論だけれども必ずおかげが伴ないます、それはね、み教えを行ずることを、教っ、例えば教祖様が神様がお喜び下さる、その喜びがはんっ、照り返ってくる、信心の喜びなんです、いわゆる妙賀なんです、賀びの妙です、ね、その賀びの妙に、いわゆる蕗繁盛です、蕗繁盛はもう付き物なのだ、という実を事実の上に、現しておられるわけですね平田先生などは、ですからですそういうまだ生きたおかげをひっ、昨日も言うておられます、「もう先生私はもう、このしっ、自分の信心をね、本当に日本国中の若い青年総の方達にです、ね、平田茂樹、私が頂いておるこの信心を皆に分かってもらいたい、もう生涯かけての自分の願いだ」と言うて、あっちへ下がられた時に、そのお話をなさっておられます、ね、だから先生のその祈られるところは私共が頂くということはですね、生き生きとした、例えば親芋を頂くようなものではなかろうかと私は思わせて頂きます、ね、それがです私共が信心によって培われるところの、その信心を深めて行くその深さに、ね、おかげは浅くして、先生のおっしゃることをです、言うならば頂いて行くならば、これはもう絶対の繁盛のおかげがそこに約束されると私は思う、ね、いかに芋、その種芋でもですね、もう水分もなくなっとるというような、いくら肥やしをかけたっちゃ、泥をかけたっちゃ、水をかけたっちゃですね、芽も出らんです、ね、現在ご自身自身が隆々として、繁盛の一途を辿っておられるようなおかげを受けておられる、その生きたものでなからなければ駄目なんです、その生きた親芋を頂こうというのが、私は昨日今日からこうして青年の皆さんが集まって先生の信心を頂こうとしておられるのは、そこんところを頂くことだと私は思うんです、ね。
  皆が繁盛のおかげを願わん者は一人もありません、皆願っております、ね、そこにはしかし繁盛の頂けれる道があるのです、それを私は84節では、教えて下さってあると思います、少し調子が良くなると、ね、やはりおごりがましいことに人間という者は得てしてなる、なるのです、ね、ですから本当の信心が分かっておったようであっても、分かっ、なかなかそこに落とし穴のあることを気付かない場合がございますがです、ね、私共がそれこそ一躍して千金を夢見るようなおかげはね、もう金輪際一つ金繰り捨てた、いわゆる信心が分からして頂く楽しみ喜びというものをです、ね、身に付けて行きたい、そしていよいよ自分という者を、をぉ見極めさしてもろうて、深めて行きたい、そこからね、いよいよ有り難い、同じ井戸の水を汲みましてもね、一軒か二軒かで浅い所から出る水は水でも、そのがためが違いますよね、十五軒も二十軒も掘った所から出てきます、それこそ冬でも、それこそお湯のような、夏は氷のような、同じ水にかかわりはありませんけれどもです、そのように違いがあるのです、信心をいよいよ深めて行くということ、ね、それは自分自身をいよいよ極めて行くということ。
  昨日の、(?)の青年の方の中に、なに、色んな質問をなさっておられた方がありましたですね、え~、「信心しよるからあんたん所の息子さんは違う」とこうおふくろに言われたと、それを聞いてなんか、あ~そのまあこそばいいような思いがしたというような意味なんです、まあ意味は少し違いましょうけれどもですね、私はですね、本当に信心をさして頂く者はね、やはり違わなければいけません、それはね自分という者を分かって行くということが違うのです、ですから少しはね、例えば針小棒大に、ね、一のものは五に言うても良いと思うです、出来よらんでも、ね、例えば発表会の時には、あ~自分な五しか出けんでん十のお話をさして頂いても良いと思うです、ね、ね、その聞いてもろうた人の前だけでもね、十をやっぱり行じなければなりません、ね手前に、ね、ですからちっとはですね、え~その信心さして頂いておればです、ね、少しは演出してからでも、私は変わった自分というものを、を人に見せるためではないけれどもね、それは良いと思うですね、一つの信心を進めて行く過程において、ね、そして今口で言うておるそのことが自分のものになることのための精進をしなければならないことは勿論です、だいたい信心を深めて行くとか高めて行くということは、そういうようなことじゃないでしょうかね、私共も、もうこうやってお話さして頂いてですね、ふっと自分にもないようなことが、お話になっておることがあります、後でそれをまた聞かせて頂いてです、はぁ本当に、あのはなっ、自分のお話をしておる、あの通りにおかげを頂けば良いなぁと思うようなことがあります、はぁ先生だから口で言いござることだけならそりゃ立派なことだけれども、ね、そうでないこともありますけれども、ね、ただそれで終わってしまってはいけませんけれどね。
  道をくっ、道に草を生やすということ、ね、道に草が生えるということは、やはりね良い物を撒けば、例えば草が生えるということはね、ふもうの地ではないという印なんです、ね、昨日、何人の方が話した、「信心しよって自分な一つも変わらない」といったようなお話があったんですけれどもね、そう感じておることがすでにもうおかげを受けておることじゃないかといったようにおっしゃっておられましたですね、それをね、私共が本気で有り難くなろうと思えば有り難くなれれる内容を持っておる証拠です、間にはそういうふもうの地にも似たような人がありますね、ええ、どんなに素晴らしい良い種を持っていってもです、それこそコンクリの上においたような感じの人がありますけれども、私共は本当にまあ良く見ると、雑草だらけですけれどね、けれども雑草が生えておるということもです、これは私共が精進したら良い物もまたそこからおえるということ、印なのですから、ね、しっかりそこんところに楽しみを持っての信心を、一つ続けて行きたい、道に草を生やすなと、なかなか生やしがちです、けれどもねそれをまた除草さして頂く楽しみもあるわけです。
  「信心が日々の改まりが第一」とおっしゃいますが、ね、そういう、あらたまっ、そういうところにも改まった上にも改まらして頂いて、え~おかげを蒙って行きたいと思います。
  今日は、え~、84節の軸に現れておりますところね、おごりがましいということ、細うても長う続くということ、しだいに踏み広げていくのが繁盛で、一遍に例えば成り金になってもそれは繁盛ではないということをはっきり言うておられるということ、ね、道に草を生やすようなことをすなと、言われることを、まあ今日私が感じましたこと、ね、を聞いて頂いたんですけれども、どうぞ一つ信心は何と言うても、まあ結論するなら有り難うならして頂く稽古に間違いありません、もう信心は有り難うなる稽古だと、ね、ですからその、信心で頂かれるところはその有り難いというものに伴のうてくるおかげ、それがあ~、(ハンピレ?)したんではおかげにならん、本当に自分の信心に伴のうてくるところのおかげ、これだけ有り難いのにおかげが伴のうてこないともし言うならね、その有り難いはまだほんなものじゃないと思わしてもろうて、おかげを頂いていかなければならん。  まあ今日も半日平田先生のお話を頂くわけでございますけれどもですね、それこそ生きた種芋のようなものじゃなかろうかと思うですね、そしてそれを頂いて帰って、一つ深う浅う植えさして頂いて、いよいよお~、平田先生が頂いておられる繁盛のおかげにね、習わして頂いて、ね、親先生を現し、神様を現して行けれるおかげを頂きたいもんだと思います。
                                                                        どうぞ。



入力者:誠輝